次世代に伝えるヒロシマの記憶
Remembrance of Hiroshima’s History
~Team Akiko から次世代に語り継ぐ、被爆者姉妹の忘れられないHIROSHIMA
Remembrance of Hiroshima’s History
HIROSHIMA, the unforgettable story of atomic bomb survivor sisters,
passed down to the next generations by Team Akiko

『次世代に伝えるヒロシマの記憶』は広島の被爆者水江顕子さん(2022年4月ご逝去)の志を後世に伝えていくためのサイトです。

顕子さんは戦後60年の歳月を経た2005年に、辛く悲しい負の思い出を後世に伝えていく必要を感じ、自らと姉 高梨曠子さんの被爆体験を書き記し、2007年に小冊子「ヒロシマ」に収めました。

「ヒロシマ」序文より

私が原爆体験を娘や孫に書き残そうと思い立ったのは、2005年の夏でした。

戦後60年もの間、家族にも詳しい話をしたことはなく、私たち姉妹もお互いに原爆について話し合ったことはほとんどありませんでした。「口にすると辛くて悲しくなるから思い出したくないわ」と拒んでいた姉(曠子)も最近になって、やはり次世代に語り伝えて残しておかなくてはと思い直したようです。私(顕子)は大阪、姉は東京と遠く離れていますので普段はゆっくり落ち着いて話し合うことはできませんでした。一緒に旅行したときにホテルで、姉が大阪に来たとき、また私が姉を訪ねたとき、その時々に昔の記憶を手繰り寄せながら話してくれたことを私は細かくメモしておきました。何度も電話で確認しながら姉に代わって綴りました。

このふたつの原爆体験「赤い日傘」と「道子ちゃん」は私が2007年に書いたものです。

戦後、ヒロシマ市民は原爆犠牲者たちに
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と誓いました。
それから数十年、世界は核戦争の瀬戸際にあるかのようです。
広島の体験を語り継ぐことが一層重要になりました。

しかし、被爆者はあと10年程度で姿を消します。
それ故、私は広島の若い方たちが私の被爆体験を朗読して下さったことに感謝するとともに、
次の世代が更にその次の世代にヒロシマのメッセージを伝えられることを願っています。

高梨 曠子

生前のあきこさん

生前の水江顕子さん(当時74歳) 2012年8月6日 平和記念公園にて 

高梨 曠子さん (1946年当時)

このサイトでは、姉妹の体験を次世代に語り継ぎまた世界に伝えていくために原文朗読動画、英語朗読動画を掲載しています。

Contents

「ヒロシマ」朗読動画

原文朗読動画と英語朗読動画。

多くの人が火傷や怪我によって亡くなる中で、持っていた赤い日傘によって奇跡的に死を免れた高梨曠子さんの体験「赤い日傘(Red Parasol)」

混乱した病院の硬い廊下で独りで亡くなった水江顕子さんの友達の道子ちゃんへの思いを綴った「道子ちゃん(Little Michiko)」

顕子さんが被爆者として抱えてきた胸のうち、平和への深い思いと未来への希望を静かに伝える「あとがき(Afterword)」

Red Parasol
若い世代の声で伝える被爆体験
「Red Parasol」を朗読したのは当時の曠子さんの年齢に近い中高校生たちです。ノートルダム清心中・高等学校と広島女学院高等学校の生徒10 人が練習を重ね、心を込めて英語で朗読しました。曠子さんは「広島の若い方たちが私の被爆体験を朗読してくださったことに感謝するとともに、次の世代が更にその次の世代にヒロシマのメッセージを伝えられることを願っています。」と思いを託しておられます。

ご家族のメッセージ

私の母、水江顕子は心の美しい人でした。
いつも自分のことより人のことを思いやり、優しい笑顔で私達家族を包んでくれました。しかし、母の心の奥底にはいつも原爆の記憶と深い悲しみが在り、生涯忘れることはありませんでした。

母が原爆投下について誰かを責めることは決してありませんでした。
憎しみは何も生み出さない、憎しみの連鎖が続く限り平和は実現しないからです。

思い返せば母からの手紙の最後にはいつも “Peace!” と書かれていました。平和が何よりも大切だということを私達に伝えたかったのでしょう。この “Peace!” という言葉に、母の切なる願いのすべてが込められていたと思います。

この動画を見てくださった方々に母の平和への想いが伝わりますように、そして平和の種が風に乗って、ヒロシマから世界中へ広がってゆきますように。

Peace!
水江 美保


私が小さかった頃は、私は母、高梨曠子から被爆体験について話をされたことは一度もありませんでした。私が結婚し米国に移住したころ、母は少しずつ原爆についての話を始め、閉ざされていた心を開いていきました。それは決して忘れてはならない話です。

今日、私たちは平和の時代に生きており、一瞬のうちに起こった出来事を想像しようもありません。昨年2022年12月14日に母は93歳の誕生日を迎えました。しかし今になってもなお、戦争を終結させた原爆の体験からおこる悪夢でうなされる母の姿を私は知っています。恐怖と極めて残虐な暴挙を経て、世界は平和を理解するようになりました。彼女が眠りについている姿を見て、私を生み育て、心の底から大切に思っている人生を与えてくれた母に私は感謝してもしきれません。

人類は二度と世界平和と秩序を維持するために核兵器に頼るべきではありません。その代わりに、私たちは戦争を、そして人間の本当の邪悪さを目撃したことも経験したこともない未来の世代の利益のために、生命の光と美しさの中で世界平和を維持する努力をすべきです。

富永恵美子


妹、水江顕子はいつも人の心の痛みを自分の痛みのように感じていました。

道子ちゃんについての辛い思い出はいつも彼女の心を悲しくさせていました。

そして、今、この世界には、道子ちゃんがたくさんいるのです。死を受け入れる以外何もできない状況に置かれている彼ら・・顕子の心はいつも彼らとともにありました。

顕子は晩年、彼女の被爆体験を伝えることに力を注ぎ、2022年4月安らかに息を引き取りました。彼女の想いを伝える動画作成にかかわってくださった方々に心より感謝をささげます。

石田護

これまでの活動

~企画は「Tears of the Moon」から始まった

広島であった出来事を伝え平和への祈りを世界に発信していくこの一連の企画は、故エリック・フリード神父と高梨曠子さんの娘である富永恵美子さん(米カリフォルニア州サンタ・ロサ在住)との偶然の出会いに端を発しています。

曠子さんが原爆投下五十周年に、原爆で亡くなった友達や知人の鎮魂と供養のために出版した句集「高髻(こうけい)」が、恵美子さんを通してフリード神父の目に止まりました。そして、神父が原爆の悲惨な事実をアメリカ人に伝えたいと句集を英訳し「Tears of the Moon」 として出版したことが始まりです。

~二つの被爆体験記「ヒロシマ」の英訳本「HIROSHIMA」へ

「Tears of the Moon」の出版は、ナミュール・ノートルダム修道女会へとつながり、高梨曠子さんと水江顕子さんの被爆体験記を綴った「ヒロシマ」が英訳本「HIROSHIMA」として2020年に出版されます。

2007年
  • 水江顕子さんがご自身とお姉様の 高梨曠子さんの被曝体験記 、「道子ちゃん」と「赤い日傘」そして、二つの手記を通して戦争を振り返る中で平和への願いを綴った「あとがき ~戦後を生きて」をまとめ 小冊子「ヒロシマ」を 出版
2018年
  • シスター渡辺 愛子 の提案により、ND清心 の卒業生が「ヒロシマ」の英訳に着手
2020年
  • 「ヒロシマ」の英語版「 HIROSHIMA」を 出版
2021年
  • 2月、Team Akiko 結成、朗読動画「Little Michiko (道子ちゃん)」の制作を開始。朗読はネイティブスピーカーに依頼するのではなく、顕子さんの思いを直接受け取ったメンバーが担当することに
  • 8月、「Little Michiko (道子ちゃん)」が完成・公開
  • 続いて高梨曠子さんの体験記「Red Parasol(赤い日傘)」に着手
  • 「広島の若い人に読んでもらいたい」という願いを顕子さんが持っておられたことを念頭に、メンバーの母校であるND清心と広島女学院に協力を打診
  • ND清心と広島女学院から「Red Parasol」への生徒の参加についてご了承を得る(ND 清心の英語科のシスター・メリー・コリピオと宗教科の上垣内先生からサポートをいただくことに)
2023年
  • 2月、ND清心から7人、広島女学院から3人の生徒が参加することが決定し、Zoomによるキックオフミーティング
  • 3月、シスター・メリー・コリピオのご指導の下、生徒たちが朗読の練習を開始
  • 続いて高梨曠子さんの体験記「Red Parasol(赤い日傘)」に着手
  • 並行して顕子さんの娘の水江美保さんとともに「Afterword – Living through War(あとがき~戦後を生きて)」の 朗読動画の制作に着手
  • 6月、広島市内のスタジオで録音
  • 7月、朗読動画「Red Parasol」と「Afterword – Living through War」完成・公開

書籍の紹介

Tears of the Moon

米カリフォルニア州にて司祭を務めた故エリック・フリード神父が、高梨曠子さんが亡き知人たちの鎮魂のために出版した句集「高髻(こうけい)」を英訳し、さらに言葉の意味や背景を解説したものです。フリード神父は、「美しい日本語の詩に被爆者の思いが凝縮され、米国人の心に響く」と俳句の英訳を決意、自ら被爆地を歩き、多数の生徒が犠牲になった歴史、そして曠子さんの思いにも触れながら本書をまとめています。

HIROSHIMA

「ヒロシマ」の英訳本として、2020年に出版されました。姉妹の被爆体験の他、姉妹を見つめてきた兄弟(石田護氏)のからのメッセージ、出版にあたった一灯舎の設立者で、8月6日に広島市中心部に建物疎開に入っていた兄を亡くされた平野智政氏による記録も添えられています。

日本の方には日本語版ヒロシマも併せてお送りできます。Contactからお知らせください